横浜菊名教会の略歴


1928年8月:
ドイツのリーベンツェラーミッションより派遣されたエルンスト・ラング宣教師が菊名の地に着任し、伝道を開始。

1935年8月(昭和10年):
教会堂が建築され、菊名教会を発足。

1936年:
伝道活動を強化するため、信仰的に近い関係にあった日本同盟基督協会と合同し、その一員となる。

1939年:
初代の牧師として野村徳次先生が赴任。野村牧師は米沢のホーリネス教会の出身で、神学生の時からラング宣教師を助け伝道活動をしてきたが、神学校を卒業すると直ぐ牧師に就任する。

1940年(昭和15年):
悪名の高い宗教団体法が施行され、日本のプロテスタントのキリスト教会は強制的に一つの教団に纏められ、日本基督教団が出来る。私達の教会もこれに加わり、日本基督教団横浜菊名教会となる。

1942年(昭和17年):
幼児教育と、それを通しての伝道のため保育園(菊名愛児園)を設立。

1941〜45年:
戦時中はキリスト教会にとって苦難の時であった。天皇礼拝の強要、近い関係にあったホーリネス教会に対する弾圧、信徒の疎開などによる離散等があり、宣教師は軽井沢に半強制的に集められ、牧師は週日は軍需工場で働く様な状況であった。その上教会堂は近くの小学校(当時国民学校)の疎開の分教場として使われ、保育園も一時閉鎖を余儀なくされ、軍需衣料品の工場になっていた。この時代の厳しい流れに私達の教会も押し流された苦い経験を持っている。
1945年(昭和20年)敗戦による戦争の終結。

1946〜48年頃:
教団を離脱して元の教派に復帰する大きな動きが起り、私達の教会にも元の教派から復帰するよう強い要請があった。しかし、私達の教会は日本基督教団に残留することを決意した。その大きな理由の一つは、「日本基督教団へは祈りの内に聖旨と信じて合同した」のであり、また、教会はキリストの身体として一つである事が神様の御心であると考えたからである。

1971年:
初代の野村牧師が引退し伊藤直己牧師が就任。伊藤牧師は当教会出身で、1966年に神学校を卒業し直ぐ当教会の伝道師として赴任し、野村牧師を助け伝道に関わってきた。

1995年:
旧会堂の老朽化と、教会員数の増加で手狭になったため、創立60年を記念して新会堂を建築。これは教会員が14年間に渉たって献金し、バザーなどを行い資金を蓄え、準備を重ねた結果で、他より援助を受けることなく全て自力で達成することができた。

2001年:
伊藤牧師が引退。

2002年:
旧日本同盟基督協会の関係で西千葉教会出身の戸波義憲牧師を迎え現在に至っている。戸波牧師は神学大学を卒業後、中遠教会(静岡県)、大島元村教会(静岡県)を経て当教会に就任。



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